初心者のためのダイビング基礎用語


オクトパスレギュレーター


鉄・クロム・ニッケル合金の発明は、ただ1つの発明過程によって得られた1種類の合金ではなく、ヨーロッパの複数の国・人物によって行なわれた多数の改良や発見を経て得られた各種の鉄合金の製作の積み重ねであった。個々には具体的な合金比率当は省くが、以下の実験と研究の過程で作られた合金の中には今日でも使用されている鉄・クロム・ニッケル合金の含有比率を備えた金属が多数得られていたことが、論文中や後の分析で明らかになっている。このことが、単一の研究結果だけを指して特定の合金の発明・発見とは云えない理由となっている。 最初は1894年にドイツの兵器メーカー、クルップ社がCr2.0%、Ni3.5%、C0.35%のクロム・ニッケルの鉄合金を強靭鋼として防弾鋼板に開発・使用した。 フランスのギレー(Leon Alexandre Guillet、1873-1946)が1903年と1904年、1906年に鉄・クロム・ニッケル合金を含む各種鋼合金に関する3つの論文を発表した。ギレーは化学成分と熱処理によって金属組織が変わる事は示したがステンレス鋼の最も重要な特性である「不動態」に関しては記述しなかったため、発明者と呼ばれることは一部を除いてあまりない。彼の論文でのクロム鋼の組織図に関する概念が後のクロム鋼研究の発展に大きく寄与した。 フランスのギレーと同じ工芸学校の教授職に5年後に着いたポートヴァン(Albert Marcel Portevin、1880-1962)は、レーシック の研究を引き継いでさらに詳しくギレーの作った金属サンプルを調べて物性などを研究して論文に発表し、好評を得たが、先輩と同じく耐蝕性に関する観点ではこれらの金属を見ることはなかった。組成と焼き入れ、焼鈍しによって硬度がどのように変化するかについてが、この時点での研究の中心であった。 ドイツのアーヘン王立工科大学の研究生だったモンナルツ(Philipp Monnartz)は1911年に工学博士のための学位論文として提出・発表した中で、鉄クロム合金の耐酸性に関して不動態によるものとして明らかにし、高い耐蝕性を持つ高クロム鋼の重要性を示して大きな反響を呼んだ。その後、多くの研究論文が鉄クロム合金の耐酸性と不動態に関して発表されるなど、ステンレス時代が開くきっかけとなったが、功績者であるモンナルツ自身には工学博士と認められた以上の経歴が残されていない。 この後、鉄・クロム・ニッケル系のクーリング オフ に関する多くの研究成果を残すのは、ドイツのクルップ第2研究所に1896年入社のシュトラウス(Benno Strauss、1873-1944)とその助手として13年後に入社したマウラー(Eduard Maurer、1886-1962)であった。両者はそれぞれに研究を行い、クルップ社は彼らの研究から得られた合金に対していくつかの特許を取得した。すべての発明がシュトラウスのものであるとされたために、マウラーは1925年に異議を唱え、その後、発明者としての功績に関して、公開された書簡論争にまで発展した。 英国シェフィールドのH.ブレアリーは1913年に所長として務めていた研究所の雇い主であったファース社とブラウン社に13%クロム鋼が高い耐蝕性を示すと報告したが、サンプルがあまりに硬くて研削と鍛造に向かないと両社は興味を示さなかった。1914年から彼はチーズナイフ等の形で錆びない金属の実用品を友人たちに配るなどしたのち、それが評判となってからは ファース社は自社で金属材料を販売しながら、ブレアリーは疎外するようになった。このため、彼は1915年にブラウンベリー社に移って第一次世界大戦に使用される航空機エンジンのクランクシャフトなどを作る製鋼所長となった。その後、1916年に特許に明るい英国人マドックスの尽力でステンレス刃物のカナダと米国の特許を取得し、1917年には日本とフランスでも特許を取得した。ファース社では1914年に、すでにドイツとイギリスで同様の特許を出願済みの独クルップ社との間で英国での特許に関して予備校 を行なっている間に、英国では多くの製鋼所が生産を始めており、特許を申請しようにもすでに周知の事実となってしまっていた。 こういった事情によって、ステンレス鋼の発明者として最初に英国のブレアリーの名が挙がるが、彼は自身の独自研究の結果掴んだ名誉というよりも、ギレーやポートヴァンらの見過ごしていた耐蝕性というステンレス鋼の特徴をほぼ最初に見抜いた点で優れ、また、雇用企業がステンレス鋼の長所を無視してもあきらめずに世間に製品を示し続けた点でも栄誉を受けるに値する[3]。 俗に、ステンレス鋼を「ステン」や「サス」と呼ぶことがある。「ステン」とはステンレスの略であるが、「ステンレス=汚れない、錆びない」から否定辞の「レス」(less)を省くと、反対に「汚れ」「錆」と呼んでいることになる。「サス」では品種番号のプリフィックス「SUS」を英語読みした呼び方([sΛs])である。数字のついた鋼は混同しない場合に限り、SUS304を「サス・さんまるよん」とか、単に「さんまるよん」と呼ぶことがある。 方位磁針(ほういじしん)は、スキャナ の作用を用いて方位を知るための道具である。 用いられる場面や仕様の違いにより、単に「磁針」と呼ばれたり、「方位磁石」「コンパス」「磁気コンパス」「羅針盤(らしんばん)」などとも呼ばれることもある。 方位磁針は磁石を自由に回転できるようにしたものである。これにより、地磁気に反応して、N極が北(磁北)を、S極が南(磁南)を向く。最も単純なものとしては、非常に軽く作った磁石を針の上に乗せたり、磁石を水に浮かべるだけで実現する。 上記の原理からも判るように、方位磁針は厳密に見れば真北を指しているわけではない。真北と、方位磁針が示している北、それら二つの差は「コンパスエラー」「コンパス誤差」などと呼ばれる。 方位磁針が示すのは、厳密には地磁気の北であり、厳密な北(地軸の北)とは多少異なることに注意する必要がある。日本国内ではその差はおよそ5~7°である。外国では地域によっては数十°に達する。この差を「磁気偏角」と呼ぶ。日本国内の磁気偏角は、国土地理院地磁気測量ホームページで概算できる。 また、航海においてはそれを「偏差」「バリエーション」とよび、その大きさは海図などに記載されている。 地磁気の北極(北磁極)はグリーンランド店舗デザイン に、地磁気の南極(南磁極)は南極大陸近辺の海上にある。この近辺では方位磁針の誤差が大きい。 近くに鉄器類があったりすると、方位磁針は狂い東西のどちらかに偏ることがある。船舶の世界では、この偏りは「自差」と呼ばれており、具体的には船搭載のエンジンやモーター類などがその原因となる。正確な航海の為には、自差を補正する必要が出てくる。 また、磁力線は赤道付近以外では地面と平行に走っているわけではなく、北半球の多くの地域の場合、地面の中に向かって突き進むような方向に走っている。そのため、針が斜めになってしまわないように、S極側を重くすることで釣り合わせている(日本の場合)。[1] 11世紀の中国の沈括の『夢渓筆談』家庭教師 には「真貝日誌送」にその記述が現れるのが最初だとされる。沈括の記述した方位磁針は24方位であったがのちに現在と同じ32方位に改められた。西アジア及びヨーロッパには、双方と交易を行っていたペルシャ人によって伝えられたと考えられている。 方位磁石のヨーロッパへの伝来と改良によって、航海術は著しく発達し、大航海時代が始まった。そのため、一般に活版印刷術、羅針盤、火薬をルネサンスの三大発明と言うが、方位磁石も他の二つと同様に西欧で独自に発明されたものではない。また、ヨーロッパでも羅針盤自体はルネサンスに先駆けて十二、三世紀には用いられていた可能性がある。ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri、1265年 - 1321年)の『神曲』にも、羅針盤が比喩的に現れる。 実用的な方位磁針として最初に出現したのは容器に入れた水の上に、磁針を浮かせることで、自由な回転と水平面の確保を同時に実現する方法だった。この方位磁石の欠点は、激しく揺れる船上で正確に方位を知るのが難しい点である。揺れる船上で方位を知る装置として、宙吊り式羅針盤が開発された。

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